残骸

映えない人生

ミルキーウェイが溢れちゃう

 

七夕

 

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どうして織姫と彦星は年に一度しか会えないのか。よっっぽどの事情がない限り、想い合っている者同士が年に一度しか会えないというのはあり得ないだろうと疑問に思った。彦星が転勤にでもなったのか?宇宙の転勤って何処?それもはや地球来てない?と思ったが、調べてみると事情はこうだった。

 

 

毎日真面目にせっせとはたを織っていた織姫。神様はそんな姿を見て、牛の世話に励む勤勉な彦星とマッチングさせる。

すると2人は、一緒に暮らすようになると仕事は全くせず遊んで暮らすように。天の服は不足し、牛たちは痩せ細っていきます。そんな怠惰な2人を見て神様が注意をするも、生活は改善されず、これには神様も激おこ。織姫を西に、彦星を東にすっ飛ばします。

しかし悲しみに暮れ、2人は更に何もしなくなります。あれ?ちょっとやりすぎた?と思った神様は「7月7日だけは会っていいよ」という条件を出す。これが七夕。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあまあ自業自得だった。

 

 

でもそれにしたって条件がキツすぎるだろう。大丈夫?本当に個人的な恨みとか挟んでない?せめて月一くらいにしたれよという気持ちになる。私が織姫なら抗議する。抗議というか恐らくキレる。仲を引き裂くとかてめぇ何様だコラって  (神様)

 

お互い付き合うのも初めてで浮かれてしまった男女の話じゃないか。3ヶ月も経てばだいぶ落ち着くだろうに…いやでも牛が痩せ細るほどだから相当放置していたのか。それは動物愛護団体徳川綱吉が黙っちゃいないだろう。

 

 

でも年に一度会えるその日に織姫に生理きたら最悪じゃないか。「いや別にそういう目的で一緒にいるわけじゃないから!」とかそういう話はいい。綺麗事はよせ。年に1回だぞ。そら天の川氾濫するわ。

そんな日にブチ当たるなんてどっちも可哀想すぎて私が地球から織姫に中容量ピル送ってあげたい。これでずらしな!と。アンパンマンに新しい顔を与えるバタコの如く。

 

 

七夕というロマンチックな日に織姫の生理を気にしているのはこの地球で私だけだという自信がある。

 

 

 

 

さてここで私の数年前の七夕のお願いを見てみよう。多分何回かどこかに載せているとは思うけど七夕なので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今だから言える事がある。

 

 

 

 

 

 

 

「本命」という言葉を使っている時点で、その時この女(私)が幸せな恋愛をしている姿が一切見えてこない。今ならこのワードは出てこないだろう。

 

どうしてこの時の私は「恋人になりたい」や「彼氏が出来ますように」と普通に願えなかったのか。そしてこの文字のアンバランスさ。確実に不安定な心模様を表している。

 

この短冊の文字バランスをブログで再現すると

 

 

本命なり  い

 

になる。

もうこうなるとほぼ犯行声明文。

笹の葉がバックにあるより、釘が刺してある藁人形の方がしっくり来てしまう。

 

 

いつ頃の短冊で誰を想って書いたのかはやや曖昧だが、未来の私が返事をしよう。君は本命にはなれません。本命にはなれなかったけど恋人は出来るから強く生きろよ。織姫の生理を心配するくらいの心の余裕はある大人になるぞ。(最悪)

 

 

今年のお願い事は何だろう。

 

 

 

まあどうせ願ったところで七夕のお願いなんて叶わないことはわかっている。叶った試しがない。叶った人はどうせそもそも叶えられそうな事を書いただけに過ぎない。

 

しかし私も「叶った」体験をしたいので今年はギリ叶えられそうなラインを願ってみることにする。とはいえ、自分の努力次第でどうにかなる事では「願う」意味がなくなる。

だから願うのであれば 現実とは切り離さないレベルで、自分の力ではどうしようもなく、叶ったら本当に心から喜べること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《 明日休みになりますように 》