残骸

映えない人生

〜週末に、終末へ思いを馳せて〜

 

昨晩死について考えた。

 

昨日の私は朝早起きをして健康診断に向かってから、恵比寿で食事をとり、友人と久しぶりに会って推しの話などを聞き、鼻の奥がツーンとするのを感じながら「the GazettEは最高」と天を仰ぎ、充実した気持ちで帰路についた。

 

死の匂いは程遠く、イキイキとした1日であった。

ただ、友人に言われた

 

「なつみの葬式、絶対出席したい」

 

という言葉が忘れられず、それが自分の死について考えるきっかけになってしまったことは確かである。ちなみにここで友人が言っていた私の死は、きちんと生を全うした上での「死」であり、「お前の葬式見てみたいから不慮の事故などで今すぐ死ね」という話ではないことを念のため記しておく。私の友人はサイコパスではない。

 

 

葬式であろうとも、私はエンターテインメントを追求したい。ちなみに「私が死んだら泣かないでほしい」とは全く思っていない。逆に出来るだけ情けなくわんわん泣いてほしい。数日くらいなら食欲も失せたっていい。後追いしない程度に、私のいない世界をまだ生き続けなくてはいけない現実に打ちのめされる夜があってほしい。とは言え、結構な号泣はしてほしいものの、幾晩も泣き続けてほしいわけではない。好きな人たちには出来るだけ健やかに生きていてほしいからだ。そんなわけで葬式でも少し笑いを取りたい。逆にてんとう虫のサンバをかけるとか。いきなりものすごいポップな死になる。あとは最後に銀テープをパァン!と出したい。その時の為にとりあえず「2階席〜!!」「アリーナァァア!!」という私のボイスは録音しておこうと思う。微妙な一言を添えた銀テープはその日の記念にお持ち帰りください。

 

 

 

このような最高の最期を迎える為に、私はエンディングノートをきちんと書こうと思う。準備は万全にしておくべき。完璧なまでの終活をするのだ。もしかすると葬式という文化は廃れていくのかもしれない。葬式がオワコン化する未来がやや見える。まあその辺は時代のニーズに合わせつつ考えたいが大丈夫、恐らくまだダラダラ悩めるだけの時間は残されているはず。なんてったってアラサー

 

ところでエンディングノートとは具体的には何を書くのだ?と疑問に思ったので少し調べてみた。遺産相続のことや、これからの人生の希望、自分の人生での忘れられない出来事などを書いておくものらしい。私にそんな遺産はないだろう。お金の事はあまり心配しないで良い気がする。となると、これからの人生での希望や今まであった印象的な出来事を書き連ねることになる。ここで私ははっとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやもうそれブログやんけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は知らず知らずのうちにエンディングノートを書いていたらしい。意識せずとも終わりに向かっていたとは。このブログは今日から公開エンディングノートだ。読み手にもそういう意識を持っていてほしい。私は3日で忘れそうだが。

 

 

しかし問題はいくつかある。

まずおばあちゃんになった私が果たしてブログを書けるのかどうか。フリック入力でゴリゴリブログを書いていくおばあちゃんというのはその時代には普通になっているのだろうか。おばあちゃんとしての可愛さは欠けるような気がする。そもそもスマホの文字が見えるのかすらもわからない。らくらくフォンで大きい文字にすれば書けるのか。どうしても「文字が小さすぎて読めなァい!」という時はハヅキルーペを片手に頑張ろうと思う。

 

そして第二の問題点。はてなブログがサービス終了しないか。ずっと残しておけるのであれば、サーバーを変えてまた始めれば良い。しかしサービスが終了した時点で全て消えてしまったら私のエンディングノートもネットの宇宙を彷徨い、もう二度と帰っては来れないのだ。そんなに悲しいことがあるだろうか。私の肉体の死より先に、ブログに不慮の事故が起きるとは。受け入れられない。それこそ自分がわんわん泣いてしまうだろう。

 

 

そして最後、これが一番大きな問題。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が一番長生きしそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、「そうだね美人薄命って言うしね!」と思った人がいたらエンディングノートのラスト1ページをデスノートにして絶対に名前を書く。

 

 

 

エンディングノートも、葬式のエンターテインメントも、誰かが見てくれなければ意味がなくなってしまう。でも私は本当にそこそこしっかり生きそうなので、こんなに計画したところで丸潰れになる可能性も大。でもみんなにはこれを楽しみに頑張って生き延びてほしい。私と自然バトルロワイヤルしよう。

 

そして最後で最期のブログ記事は絶対に読んで後悔させないオチにする。

 

 

 

 

 

 

そこでようやく「残骸」が完成するのだ。

タイトルでしっかり伏線回収されていて抜かりない。このブログタイトル5秒くらいで考えたやつだけど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……でもそうなるといよいよ書籍化したくなって死に際迷子になるな。死ぬのやめていいか?