残骸

映えない人生

東京のスラム街

 

東京芸術劇場前の鳩が人に慣れすぎていて心配になる。何故あいつらはあんなに人間が歩く道を堂々と歩行してるのだろう… 普通にぶつかりそうになってこっちが「アッ、すみません」と言いそうになる。人間なんていい人ばかりじゃないのだからもっと気を付けるべきだと思う。そもそも東京芸術劇場の前にたむろしてる人々は人間の中でも完全にヤバい方なのだ。私はあの場所を東京のスラム街だと思っている。改装され、綺麗になった今も目の前でたむろしている人間の質は変わっていない。

 

 

今日も仕事で郵便局に向かう途中、その通りを歩いていた。コロナで人は少ないものの、「ヤバイ人」は確かに存在していた。例えば外でお腹(かなりボリューミー)を出しながら地べたで爆睡をキメ込んでいるおばさん。春らしい陽気といえど、まだ肌寒いこの時期に西洋絵画の娼婦のようにそのボディを丸出しにしている。

 

コロナの騒ぎがなければあの通りで地べた飲酒をしている人なんかは通常運転。1人で喋っているおじさん、座ってる横に箱を置きお金をもらおうとするおじさん、何故だか将棋をさしているおじさんおばさん。特に将棋の人々は服はボロボロだが、何故かすごく幸せそうな顔で笑っている。人の幸せは身なりなどでは計れない。これは東京芸術劇場前で学んだ事である。

 

それから今日は郵便局横の狭い溝に座り込んでいるもはやおじさんだかおばさんだかわからない人が何かを膝に持ってもぞもぞしていた。

私は何を持っているのかがどうしても気になり、凝視しないように注意を払って目を向けた。

 

 

グレーの………ぬいぐるみ……の、ような………もふもふ…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳩である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おじさんだかおばさんだかわからないその人は、鳩を抱えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はすぐさま目を逸らした。「関わってはいけない」と瞬時に判断した為だ。しかし目を逸らしてからすぐ、「鳩がいじめられていたのだとしたらどうしよう」という思いが頭を過った。

あんなに人に対して警戒心がない東京芸術劇場の前の鳩のことだ。どうせごはんに釣られてホイホイとついていってしまったのだろう。知らない人についていってはいけないと、鳩界では教えてもらえないのだろうか。

 

刃物などは持っていなかったことは確認できたものの、世の中には野良猫や野鳥を平気で傷付ける人間だっている。いい人間ばかりじゃない。特に東京芸術劇場前は。

私は恐ろしくなったと共に、「関わってはいけない」という判断で己の保身を優先し、鳩を見捨てたような罪悪感に苛まれた。命の重さに変わりはないと思いつつも、私は自然に鳩と己の危険を天秤にかけてしまっていた。きっと私がゆずなんかを聴いてチャリティー番組を観て瞳を潤ませるような人間だったら、おじさんだかおばさんだかわからない人に抱えられてる鳩がどんな状態だったのか目を背けずに確認していたかもしれない。たまたま通りかかった女がヴィジュアル系を聴いて24時間テレビのようなお涙頂戴番組を観てやっすい涙だなと思う人間だったばかりに鳩は報われなかった。なんて冷酷な人間なのだろう…目の前の鳩も救えず、私に何が守れるというのか。結局人間、自分が一番なのだ… これも東京芸術劇場前で学んだ事だ。

 

 

 

 

東京芸術劇場は私に色々な事を教えてくれる。

尚、実際に中に入り利用したことはない。