残骸

映えない人生

今一番行きたい森

 

休みの前日のワクワク感は尋常ではない。

私くらいになると、もう休みの前々日の夜から「明日仕事行ったらその日の夜は自由だ!」と思いながらワクワクしてる。もう大人なのである程度はいつでもなんでも出来るはずだが、休みの前の日の夜は無敵。マリオで言うスター状態だ。多分この時の私に触れたら吹っ飛ぶ。

 

 

そう、そして今まさに「休み前日の夜の私」なのである。「休みの日・当日」より「休みの日の前日の夜」の方が圧倒的にテンションが上がるのは間違いない。今はベッドでダラダラしているが、徐に起き上がり、朝まで踊り明かし、クタクタになっても良いのだ。何故なら、明日は休みだから。その自由度の高さが私を高揚させる。なんでも出来る。なにをしても良い。

 

 

 

今やりたい事といえばどうぶつの森だ。どうぶつの森というヤツは、どうしてすぐに飽きるとわかっていながら新シリーズが出るとプレイせずにはいられなくなるのだろう。64、キューブ、DS、ポケ森、ありとあらゆるどうぶつの森に滞在しているうちに知らぬ間に洗脳されているのだろうか。あの森の住人たちならやりかねない。思い返してみると奴らの横暴さには驚愕してしまう。

 

まず、人が貸した物を当たり前のように又貸しする。現実世界でやろうものなら即縁切り案件である。それを「○○ちゃんに貸しちゃったのよねー!」とあっけらかんに話すのだ。そんなテンションで許される話ではない。

初期の住人はまだマシな方で、お願いされるものがどこにでもいるお魚であったり、虫であったり、比較的手に入りやすいものをおねだりしてきた。カワイイやつめ…と思いながらお気に入りの子にばかり貢ぐようになる。しかし時代の流れと共に、この謙虚さは消える。おねだりしてくるもののレベルが格段に上がるのだ。家具や服、よその村でしか取れないフルーツ、イヤイヤ今の時期絶対いないからという季節外れの魚や虫。しかもそのお願いをきかないとろくに口もきいてくれなくなる。口を開けば「オイ、例のブツはどうした?」という催促。まるで田舎から上京してきた女の子が、都会に染まり歌舞伎町のキャバ嬢になったようなものだ。村メロを木綿のハンカチーフにしてやろうか。(恐らく村メロという文化はもう存在していない)

 

頼み事だけではない。

自分の家に招待した時も、ある家具の前で立ち止まり、なんとこの家具をくれとねだってくる。そんなことを現実世界で(以下略)

しかしそれにはこちらにも対策があった。

それは、カモフラとしていらない家具を置いておくというものだ。いらない家具だけの部屋に模様替えするのは面倒なので、いつもの部屋にいらない家具を不自然に置くだけの雑な対策だ。明らかに浮いている家具であっても気にしない。あいつらに部屋のセンスなどわかりっこないのだから。

そうやってナメてかかっていたせいか、この作戦はあえなく失敗する。どう考えてもそれはあげられない、という家具をねだられた。しかしここで挫ける私ではない。人様の家の家具をねだってくる住人が、二度とそんな口をきけなくなるように地下室に案内をした。私の家の地下室は全面コンクリートで、実験台が真ん中にあり、理科室にある人体模型と棺が並び、天井には監視カメラが2台付いているだけの無音の部屋だ。確実に誰かここで死んでいる。

しかしこれが大当たりで、そこへ案内したらそそくさと帰って行った。さあーて!そろそろ帰るとするかな!と言って。多分あの時あいつは少しチビってた。この流れは本当に素晴らしく、録画しておきたかったと今でも思う。

村を歩いていても「オイ、いいもん持ってるな売ってくれよ」とジャイアンの如く話しかけられる始末。こうして私は大事な物を持ち歩くのはやめた。いらねえものを高く売りつける。そっちがそうならこっちはこうだ、という具合に。どうぶつの森で生き抜くには知恵が必要。

 

 

そんなどうぶつの森が今回は無人島での生活と聞いて、もう恐ろしさしかない。完全にこき使われる未来が見える。どうせDIYでやや面倒な何かを作らされるに違いない。あのニコニコ顔で近寄ってきておねだりされるのだ。目の前であんな期待に満ちたハッピー顔をされて、誰が断れるというのか。

 

 

どうぶつの森は決して人間社会の鬱憤を晴らすためのゲームではない。表面はどうぶつたちとの気ままなスローライフを謳っているが、実際に待ち受けているのは住人たちの奴隷になり媚び諂う生活。人間社会と何ら変わりない。

しかも今回のタイトルは「あつまれ!どうぶつの森」…。もう包み隠す事すらせず、堂々と奴隷を募集しているではないか。おしゃれが出来るやらなんやらと楽しい風なCMは、求人広告のにこやかな社員の写真に添えられた「アットホームな職場です!」と通ずるものがある。騙されてはいけない。そう思うのに、どうしてまた私は足を踏み入れたくなるのだろう。そうして、奴隷になると知っていながらそこでの生活を選んでしまう。しかしこうした横暴さを思い返せば、奴らが人の潜在意識に潜り込むという事も容易いのではないか。あつまれ…あつまれ…と人々に囁くのだ。

しかも今回のコンセプトは「何もないからなんでも出来る」だそう。何かと似ている。そう、これは休みの前日の夜のテンションだ。どうぶつの森とかけて休みの前日の夜と解ける。これはもうどうぶつの森に行くしかない。

 

しかしそもそも私はSwitchを持っていない。今夜は諦める。そしてこんな話をしているうちにワクワクな夜は更けていく。なんというワクワクの消費、まで書いて本当に寝落ちした。無念。