残骸

映えない人生

心にいつも邪気眼

元気ですか?私は元気じゃないです。いや普通に元気だけど元気じゃない。全部コロナのせいだ。

ずっとずっとずっと心待ちにしていたライブが中止になりました。昨日は本当に葬式モード突入して家で曲聴きながら号泣して疲れて寝た。あかちゃんのような不貞寝をしてしまった。こんなにこの世を恨んだことってない。

自分のthe GazettEへの愛は再確認したけど再確認しなくちゃいけないほど愛を見失ってはいない。

 

こんなに長く続いている趣味って本当にないなとふと思った。正直ハマった時は自分でも「これはいつか自分の中で黒歴史になるのかもな」と思っていた。思っていたけど、恥ずかしいと思った事は一度もない。それはthe GazettEが誇りを持って「ヴィジュアル系」を今も続けてくれているからであって あちょっと泣きそう

 

 

そもそも出会いは何だったかと言うと、遡ること……… …………15年前?え、じゅ じゅうご?あれ?こわ え、そんな?あれ?

そのくらい遡らないといけないことに引いた

 

それまではと言うと、中学生の女子らしくジャニーズなんかを追いかけていた。とても健全な女子中学生。そしてそれまでは音楽より漫画などの方が好きだった。

しかしここで私はジャンヌダルクに出会ってしまう。これが「健全なる女子中学生のルート」を逸脱してしまう大きな原因だったと考える。

アラサーまで続いた私のロン毛好きは完全にyasuのせいだと思っている。好きで好きで好きで生徒手帳にyasuの写真を入れていた。「いやオッサンだし雰囲気かっこいいかもしれないけどよく見たら全然かっこよくないよ(⌒-⌒; )」という女子からの意見に片っ端から噛みついた青き春。

 

ジャンヌを好きになったということはもう必然的にヴィジュアル系という世界に触れることになってしまう。雑誌や音楽サイト、yasuがいる所にヴィジュアル系バンドは付いて回るのだ。しかし一番最初からヴィジュアル系をかっこいい!と思っていたというよりは、新鮮さや違和感、やや不気味なところが気になっていたという感じだった。

私がそれまで触れていた世界は、綺麗な顔の男の子が綺麗な服を着て、愛とか友情を歌っていたりした。(それが嫌だったわけではない)

カメラに向かって微笑むし、雑誌では理想のデートなんかを語っていたりする。アイドルは特に疑似恋愛要素も強い。中高生の女の子をキャッキャさせる為で、それは当たり前だ。だがしかし、私は昔からこの“疑似恋愛路線”に全く興味がわかなかった。出来ればこちら側は無視して頂きたいとすら思っていた。

 

反して、ヴィジュアル系というのは 中学生の私からすると少し浮世離れしている感じがあったのだ。それは一体どこの世界の話だね?という歌詞、わざわざ血塗れになる衣装、目をかっぴろげるスマイル、PVで泡を吹くボーカル……とにかく全てが新鮮だった。こんな世界があったのか!という衝撃。幼少期にCDTVのランキングで一瞬だけランクインしたMALICE MIZER(Gacktのバンド時代)が異彩を放っており、怖いもの見たさというか何故だかドキドキしていた事をこの時思い出した。

しかも絶対、MALICE MIZERの枠はやや少なめだったと思う。幼いながら、「なんかこの人たちの尺短いな…」と感じていた。なんとなくヴィジュアル系は世間からタブー視されているものなのだと思うが、それもまた一層私の中の「ヴィジュアル系カッケー」を加速させた。薔薇、脆弱、傀儡…絶対に日常使いしないであろう漢字にやたら強くなった。

 

中二病というのは素質である。生まれながらに持っていたそれを、私はヴィジュアル系という世界に触れて昇華させてしまった。

 

 

それからというもの、どっぷりとその世界に浸ってしまった。the GazettEに関しては、日本が誇る低学歴バンドでもあるので 最初のうちはやや馬鹿にしていた。何故なら彼らの歌では日本語すら間違えているからだ。歌詞に出てくる「五月雨」はファンの間では有名。わざとであってほしい、と思ったが多分本気だろう。なので今、彼らが涼しい顔して英歌詞を歌っていると「フフフ」と、微笑ましい気持ちになる。

 

しかしヴィジュアル系という世界、本当によくある話として「なんかだんだん普通のバンドになる問題」がある。

私は「昔の方が好きだった」と言うファンが嫌いだ。そんなこと言ってる奴は「今」を大して見ていないし、ずっと続けていればそれはそれで「飽きた」「ワンパターン」などと言い出すのだろう。本当に勝手な生き物だ。

そんなわけで昔の方が云々言う奴は嫌いだが、ヴィジュアル系に関しては少し気持ちがわかってしまう。あまりにも残酷な変貌を遂げてしまうパターンがありすぎるせいだ。例えばそれは曲にも表れる。

え!?地下室に死体埋めてたのに突然ギュッとしてが言えないとか言い出したーーー!?!?!? など。悪いことではないのだと思う。それも手段。わかっていても切ないものがある。だって死体、埋めてたじゃない…という気持ちになる。

何年もばんぎゃるをやってきた。「ヴィジュアル系」で居続けるというのは簡単なことではないのだろう。化粧をやめ、衣装は簡素なものになる。曲調はポップになり長い髪を切る。続けるのが難しいのはわかるが、私は「ヴィジュアル系」をずっとかっこいいものだと思っている。こんなに視覚でも楽しませてもらえるジャンルはなかなかないと思う。だから変わってしまうのが悲しい。

 

その点、冒頭でも言った通り、the GazettEはずっと「ヴィジュアル系」でいてくれている。本当にこのジャンルへの愛を常々感じる。しかもファンに対して「このジャンルを守ってくれてありがとう」なんて言う。いやこちらこそずっとそのままでいてくれてありがとうずっとついていきます本当にヴィジュアル系の神様だよ崇拝っていう気持ち ごめん若干取り乱した。

 

the GazettEヴィジュアル系としてかっこいいままで居てくれる以上、私はバンギャであることを黒歴史になんてしない。(そもそも過去のものでもないが)

成人式の日、中学の担任から「よ!佐藤!まだヴィジュアル系好きなの!?」と言われたがうるせえなんなら今が一番好きだよ黙りなと言いそうになった。多分「やめてくださいよー!もう全然聴いてないですからあ〜!」って反応を期待されたと思うんだけど全然全盛期ですが。(RADWIMPS、次の曲このタイトルでどう?)

 

the GazettEの事を褒め出したらキリがないのだが、ファンとの距離感が絶妙なところも魅力。私は前述した通り、アーティストに疑似恋愛要素を求めていない。「え、本当に実在するの?」くらい思わせてほしい。なのでツーショなどの接触イベントなどは途端に萎えてしまう。(アイドルならいいと思う)

自分と住む世界が違うというか、生きてるステージが違うというか、そういうところに痺れるのだ。だから横並びでピースしたいわけではなく、煌びやかなステージを見上げていたい。手を合わせたい。お布施したい。首を捧げたい。

 

たまにファンに還元するという意味合いでサイン会があるくらいがちょうど良いのであって、CDに握手券が毎回つく という手法をアイドルじゃないバンドがやってしまうことにダサさを感じてしまう。しかしそうでもしないと現代、CDが売れないのはわかる。だから売れるまでの手段としてならアリかなと今は思う。

現に私もthe GazettEのサイン会が奇跡的に当たり、神を前に人は無力というのを思い知らされた。でもそれが快感。あ〜!!!私って!!人間!!!この人たちは!!神様!!!!という、快感。

 

 

 

中学生の私が感じていた、浮世離れしているドキドキ感を現在も感じられるということ

メンバー誰一人欠けることなく、ソロ活動もなく、続けていてくれること

化粧をやめたり、ポップな衣装にならないこと

大人になっても好きになった頃と同じようにわくわくさせてもらえるthe GazettEは最高、という話でした。いや正直全然書き足りなくてあと5000文字くらい書けそうなんだけどそろそろ読んでもらえなくなりそうだからやめておく。ちなみにここまでで3000文字オーバーしている。最高記録を叩き出してしまったけど本当に全然足りない。

 

この先ずーーーっと同じ頻度でライブに行く事は難しくなっていくかもしれないけど、それはそれでいいと思ってるし、私の愛は変わらない。多分これ以上の趣味って、もう私の人生では出来ないと思ってる。

 

 

 

コロナで日本はやや暗くなってしまってる気がするけど、それぞれの好きを堪能出来る日々が早く戻ってくるといいですね。

 

私は好きを自粛しないぞ。

ご清聴ありがとうございました。