残骸

映えない人生

「お姉ちゃん」と呼ばない

 

やや生理不順だから命の母ホワイトを飲み出したんだけど、飲んでからしばらくして腹痛に襲われた。最初は風邪かと思ったけど、命の母をやめたらぴたっと治った。何?命の母って命を狙う母だったの?

 

今日はそんな母にまつわる話、ではなく姉の話をしようと思う。

 

 

私には年が一つ上の姉がいる。年子なのでほぼ友人のように育ってきた。が、やはり姉は姉。高校生くらいまでは姉妹喧嘩もしたし、絶対に口では勝てなかった。私の500億倍くらい口を達者にしたのが姉である。勝てるわけがない。

 

母から聞いた話で、自分自身はすっかり忘れていたエピソードがある。

トゲトゲしていた時代の姉に、母はムキーーッとなってガミガミ怒っていた時。それを見兼ねた中一の私が「ママ、○○ちゃん(姉)に色々言うのは逆効果だよ。『そうだね〜 その通りだね〜』って言っておくのが一番いいんだよ」と言ったとか。本当に一切覚えていないが、中一にして妹という身分を弁えすきだろう。幼少期から口でボコボコにされてきた妹の成れの果てだ。母はその時感心したらしい。

 

性格はというと、THE ズボラ という感じだ。本当に人生でここまでズボラな人間は見たことがない。使い終わったバスタオルをかける、ということすら出来ない。バスタオルをかける物の上にグシャッと置いているか、かろうじてかかっているがやはりグシャッとなっている。どうしてそこまできて整えるというあとひとつの動作を諦めてしまうのか。理解し難い。結局その光景が気持ち悪くて母や私が直すので、姉は一生なおらない。しかし私たちが直さなかったところで、別に姉もなおらない。(検証済み)

あとはこれも私の人生で出会ってきた人の中で一番なのだが、とにかく不器用。一度高校の授業で家庭科で作ってきた雑巾とエプロンを見た時、驚愕した。雑巾やエプロンを越えたアートかと思ったほどだ。雑巾に関してはまず縫い目が私のしつけ縫いより大きい縫い目で、しかもそんなでかでかとしているにも関わらず曲がっている。雑巾一周で縫い目が多分10くらいしかなかった。

エプロンに関しては、これこそ雑巾かと思った。いや、そう言っては雑巾に失礼なほどボロ布だった。母が一度洗濯機にかけてみたら全壊した。これを恥じることなく提出する姉の生き様は嫌いじゃないが、生まれ変わっても姉のクラスの担任にはなりたくない。通知表での家庭科の順位は、後ろの人数を数える方が圧倒的に早く、もちろん男子以下だったと思う。というかあれなら小3の男子の方がまだ良いものを作れる気すらする。家庭科の成績が姉以下の人間、それはもう不登校だと思う。

 

まだまだある。信じられないエピソード、年間遅刻100回。どう頑張っても遅刻100回は無理だろうと思ってしまう。でもそれをやってのける女。しかも寝坊などではない。母はきちんと朝起こし送り出す。ならば何故遅れるのか。自転車の速度が亀のように遅い。これは現在もだ。もうそれ自転車乗る意味あるか?という速度。姉に合わせると逆に疲れてしまう。

あとは学校に行く途中、野良猫がおり、ごはんをあげてから行っていたらしい。当時の姉はギャルだった。なんだそのヤンキー漫画みたいなエピソードと思わずにはいられない。確かにあの頃よくポケットから煮干しが出ていた。

母は「夕方にあげなさい!」と言っていたが(そんなことするなとは言わないのがやはり動物大好き一家)、「朝しかいねえんだ!」と言い張り遅刻の数だけが増えていった。その分早く起きて行く、という考えには至らなかったようだ。

 

これにはもう先生もブチ切れており、母は何度も呼び出しを食らっていた。可哀想に。

私の高校は通学がかなり面倒で大変だったが、姉の高校は家から自転車でも行ける距離であった為「はー!(行くのが面倒だから)なっちゃんじゃなくてよかったー!」と母は言っていたが、全力で「そこじゃねえだろ!」とツッコミを入れた。普通は高校生にもなって呼び出しなどされない。スーパーポジティブかよ。

しかし母は先生に平謝りであった。遅刻はするわテストは赤点だわ提出物は提出しないわ、それはもう散々な生活態度で、当たり前だと思う。姉は何度も遅刻のペナルティで校内の至る所を掃除していた。

 

母「もう校庭に正座でもなんでもさせてください」

先生「いやあね、今時そんなことしちゃったら近隣の人から「あの学校は生徒にあんなことをさせている」って言われちゃうんですよ」

母「じゃあもう『親公認です』のプラカード持たせてください!!」

先生「でもねお母さん、アイツのおかげで校内綺麗なんすよ………」

 

先生と母親にここまで言われても尚改善しない姉は本物だし、私にはこんなにたてつく事は出来ないから寧ろすごいなとも思っていた。私は先生を絶対味方に入れておきたいタイプだ。

 

もはや才能とすら感じる。

 

そんな姉だが、就職してからは一切遅刻などしない。ものすごくちゃっかり生きている。そういうところは姉妹だ。

 

 

それともうひとつ。姉は恋愛の目覚めが遅かった。高一で彼氏が出来た私は、相手が相手だった為(笑)毎度のように喧嘩して別れる別れる詐欺を繰り返し、毎日不安で泣いてばかりいた。そんな私に姉はめちゃくちゃ冷たく、「なんでそんな恋愛脳なの?意味ワカラン」と言い放っていた。もうこいつには恋愛の話は一生せん、と思ったものだ。まあ確かに私は恋愛脳ではある。

 

しかし姉も就職してから本当に好きな人が出来た。それがだいぶヤバい男で、だいぶヤバい男だった。なんというかもう血は争えないと思わざるを得なかった。

だが生まれて初めて恋をした姉はそれこそ高一の私のポテンシャルになっていた。「あーそれね、私も悩んだ悩んだ。高一の時に」という具合で、恋愛経験だけは私の方が上だった。

私はあの時泣き喚いている私を横目に嘲笑った姉を思い出しながら「それ見たことか!!!」と言ってやった。スカッとジャパンである。

 

しかし姉は私ほどバカではなかったようで、ヤバい男とずるずると関係を続けることなくスパッとやめてスパッと優しい男と結婚した。

しかし私は忘れない。今の旦那の時も姉はぞっこんラブであったことを。「好き好き好き好きぴえん」となっている私を馬鹿にしてた女とは思えない。恋とは人を変える力があるのだなとはっきりと思った。

 

 

 

色々言ったが私は姉が大好きで、姉が帰ってきた日は未だに一緒にお風呂に入るし深夜まで話し込む。それに私が好きになる人は「面白い」が絶対条件だが、それの一番根本は姉であると思っている。昔から話も面白く、ツッコミのセンスや感性は優れているなと思っていた。小さい頃、同級生の女の子と話すのがつまらなく感じてしまうほどだ。誰よりも勝てないなと思ってしまう。それが姉へのコンプレックスになっているかと言ったらそんな事はない。私は私で面白いと思う。(自画自賛)

 

 

 

もう少し心温まる姉妹エピソードもあった方が良いだろうか。そうだなあ…………あれは私がまだ園児の時……おっと文字数オーバーになるのでやめておこう。文字数オーバーとかないけど。