残骸

映えない人生

第七夜 満月と密会

 

書きたい気持ちがある気がするのに、それが何なのかわからないし言葉に出来ない時、欲求不満みたいな気持ちになる

 

 

今日は最後の夜だけど、今回Twitterの必要性について考えてしまったな。Twitterが便利すぎて、すぐに言葉に出来すぎて、だからこそブログの更新も減ってしまうのでは…?とか思ったり。だからこそいいんだけどねTwitterは。でもなんか、大事な気持ちなんて絶対つぶやいちゃいけない気がした。まあ心配せんでも、私のつぶやきなんてほぼくだらないことなんだけど。

 

ていうかブログもTwitterも結局見てる層に合わせて考えちゃうよね。だからいくつもアカウント作っちゃったりする。こういう人たちにはこう言いたいけど、こっちの人たちにはこう伝えたい、とかあるわけじゃん。

人に間違って届くのが嫌なんだよなあ。でも言葉には人それぞれの解釈ってものがあって、そこへは私は介入できないんだもん。ブログはまだ考えながら書けるし、私 その場のコミュニケーションで思いを伝えるの下手くそなんだよね。下手っていうか、そのあと後悔しちゃう。「あの表現は違ったかも」「本当はこう言いたかったのにな」とか、後々出てくるんだよ。でもそれを日を改めて伝えるのも変かも、と思うし あ〜〜〜ってなる。

でもその場その場で上手くまとめられないし、変わっていく気持ちだってあるし。その場で言った事も多分嘘ではないしさ。どうすればいいんだろ(笑) その件はもっと考えたいので保留で!って言えば納得してもらえるんだろうか…

でもそうやって、一旦自分の中で咀嚼する時間ほしいの。早いレスポンスが求められるコミュニケーションが苦手。昔、販売員の時の店長がまさに早いレスポンスを求めるタイプで、私はいつもアワアワしてしまってた。だから思ってる事も、事実も何もちゃんと伝わってなくて、歯痒かった。

 

喋るの上手って言ってもらえる事もあるけど、私はいつも難しいなあって思ってる。

 

 

かと言って心の内を書きすぎるのはどうなのだろうとかも思うわけ!なんかTwitterとかブログとか、もう私の一番ドロドロした内臓見せてる気持ちになってきて。そういうのを恥ずかしいとか思った事はないし、寧ろ好きな人間には見せたくなっちゃう…でもダメなような……  いっそこの気持ちも興奮に変えようか…

 

 

興奮といえばこの間、しみけんさんのYouTubeで、ガラス張りの公衆トイレがあるから行ってみた みたいなやつがあったら見てみたの。

鍵を閉めると見えなくなるっていうのを聞いて、もうすっごいわくわくしてたのこちとら。でもその鍵したら見えなくなるっていうのは、してる側も見えなくなっちゃうやつだったんだよね。もうすごい落胆。マジックミラーとちゃうんかい… マジックミラートイレだったら俄然興味あったわ。車にこだわりとか全然なくて軽でも全く気にしないけどMM号にだけは乗りたい女だよ私は。

 

 

 

 

……やっぱ書き始めると書けるな…

無理矢理毎日更新してたけど、無理すれば出来るということが判明。見てる側はどうでしたでしょうか。低クオリティでも高頻度更新の方が需要あるのかな。

 

さて、明日からまた全然更新しなくなっても私のこと好きでいてね