残骸

映えない人生

私の幸せは私が決める

 

こんばんはお風呂からお届けしています。

今日という日は「こんなに何もしなくて良いのだろうか」というほど何もしていない。お家時間の限界を感じている。もう最近ソリティアを無心でやってるからね。とうとうキたな、という感じじゃないソリティアって。ああもうその段階いっちゃいましたか、的な。ソリティアクロスワードはヤバい。

だからせめてこうしてゆっくりお風呂に入るという贅沢をしているわけ。これが贅沢なのかはやや疑問が残るけどまあ忙しい日々を送っていたらお風呂なんてテキトーになるもんね。こんな時間の消費をしてもいいじゃないか。

 

いやはや、私ピークだった体重から少し落とせましてね。まあ普通にまだお腹とかだらしないんだけどさ。でもピークは抜けられた。私はストイックじゃないから、ガリガリ体型には絶対なれないし、特に目標にもしていないんだけど。程よく肉付きのある、えっちな身体を目指してるんだ。まあ胸は足りないんだけど。体っていうか身体って感じ。生々しさがあるっていうか…

太すぎても細すぎてもダメだと思うんだよね。「女の子」って感じでありたい。人の好みは知らん。私がそうでありたい。自己満足度No. 1の自分である方が、幸福度は高いんだと思う。

 

自分の理想像は結構色々なところにある。

キツイ香水はつけないでシャンプーの香りをさせるとか、ピアスはあけないとか、ネイルをしないとか。ネイルは正直やってもらった方が絶対長持ちするしから、 短めシンプルであればいいかな?と最近は思う。でもここまで貫いてきたことを覆すのか…?という葛藤もあり、踏み出せない。私の理想の女の子は自爪で短く揃えていてほんのり色づく程度なんだ…

 

長年、「黒髪」にもこだわりを持っていた。アイドルでもないのに。黒髪に終止符を打つ決定的な出来事があったわけではない。

だけど、「理想の自分」もある程度年と共に更新していく必要性を感じた。それは前の前のツイキャスで話したことにも繋がるが、そうじゃなければ周りから「素敵」と思われない大人になると感じたからだ。さっきも言ったように、ファッションや身なりは自己満足度が高い方が幸福ではあると思う。だけどそれはあくまでも自己満足の幸福だ。それで満たされるという人はそこを追求していけば良いのだと思う。だけど私にとっての満足度は、自分だけで満たされるものではない。どうしても。意外と自己満足だけで生きられる強さは兼ね備えていないのだ。周りから素敵と思われない自分にどんな価値があるというのだろう、と考えてしまう。

だからある程度、自分以外の人間にも素敵だと思われていたい。どちらのバランスも保ちながら生きていたいのだ。自己満足の幸福は年齢問わず自分の「好き」を貫く事であり、他者からの評価を気にする身なりは少しずつ変えていかなくてはいけないものだと思う。となると、黒髪でいていいのは二十代前半なのではないかと思えてきたのだ。黒髪は若いからこそ価値がある。(あくまで私個人の意見)

いや勿論、大人で黒髪が似合う人だっている。そういう人は元々顔立ちからして私とは対極にいるのだ。私の顔はどう頑張ってもなかなか垢抜けないタイプの顔立ちなので、そこに黒髪がプラスされると田舎の中学生のようになってしまう。しかし世の中にはそこに自分の価値を置いてしまって、年をとっても年をとっているという感覚がなくなってしまう女がいる。これはすごく危険な事だ。「素敵な大人」から遠ざかっている。「童顔である私」に価値を置きすぎた女は、痛い女へと成り果てるのだ。しかも無自覚で。これはまんま、ツイキャスでも話したが、ブログの方が伝わりやすいと思う。

 

 

だから私は黒髪を捨てた。

 

 

黒髪のままで素敵でいられる自信がなかった。

少女性を捨てるのは勇気がいる。

本当はセーラーカラーだってフリフリのスカートだって好きだ。

だけどアラサーでそれらを満足に着こなせるはずもなく、そんなもんを好きだの似合うだの言ってくる奴はオタクしかいない。

 

私は今でも一番ピンクが好きだし、リボンが好きで、服についてる確率がかなり高めだ。しかしぶっ飛んだ可愛さはもういらない。今までたくさんお世話になったし、満足している。

 

私は人から好きだと、素敵だと、言ってもらえて初めて自分の事を認められるのだ。そんな事言われなくても、自分がいいと思えばいいと言えたらそれが一番なのかもしれないが、そういう生き方が出来ないのだから仕方ない。人生は取捨選択。このブログのBGMはアーバンギャルドの「さよならサブカルチャー」にして頂きたい。

 

 

 

 

 

くどくど書いたがこれだけは言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

私はまだ高校の制服でもイケる。